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安倍晋三元首相 昭恵さんと仲睦まじく食事、結婚式で緊張…“強権的政治家”の親しみやすい素顔を写真で振り返る

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.07.10 20:40 最終更新日:2022.07.22 21:29

安倍晋三元首相 昭恵さんと仲睦まじく食事、結婚式で緊張…“強権的政治家”の親しみやすい素顔を写真で振り返る

昭恵夫人と笑顔で食事をする安倍元首相

 

 衝撃の銃撃事件から2日。安倍晋三首相は、治療を受けていた奈良市内の病院から“無言の帰宅”をはたした。自宅には、閣僚のほか党、メディア、財政界関係者など、生前、安倍元首相と交流のあった多くの人々が弔問に訪れている。

 

 戦後最年少の52歳で総理大臣に就任し、憲政史上最長の政権を率いた安倍氏の素顔とはどんなものなのだろうか。

 

 

 安倍氏は1954年、当時、毎日新聞の記者だった故・安倍晋太郎氏と妻・洋子さんの間に次男として誕生した。成蹊小学校に入学後は、エスカレーター式で成蹊大学を1977年に卒業。南カルフォルニア大学への留学を経て1979年、神戸製鋼に入社した。語学力が買われ、まずニューヨーク事務所、その後に加古川製鉄所、最後に東京本社へと異動している。

 

 神戸製鋼時代の上司・矢野信治氏は2007年、中日新聞の取材にこんなエピソードを語っている。

 

 胃に潰瘍のあった矢野氏は、自動販売機の近くに座る安倍氏に、よく牛乳を買いに行ってもらっていた。「本当に政治家の息子かって思ったよ。素直で礼儀正しくて」という印象だったという。

 

 矢野氏によれば、安倍氏は朝いちばんに出社し、仕事熱心で、普通は3カ月で覚える仕事を1カ月で習得したという。「安心して仕事を任せられる部下だった」と、別のインタビューでも語っている。

 

 そんな安倍氏は28歳のとき、政界に転じていた父親の晋太郎氏が外務大臣に就任したのを機に、神戸製鋼を退社、父親の秘書になった。

 

 昭恵夫人と出会ったのは、この秘書時代のことだ。

 

「お見合いで出会った2人ですが、昭恵さんは50分も遅刻してきたそうです。安倍さんはお見合い前に、ある会食で昭恵さんのことをすでに“見染めて”いたそうで、『昭恵さんは私のマドンナなんです』と言って、素直に待ち続けたといいます」(政治部記者)

 

 1987年、2人は夫婦になり、それから6年後に安倍元首相は初当選した。2人のおしどり夫婦ぶりを、支援者もほほえましく見ていた。

 

「東京育ちで人見知り、山口弁も話せず、下戸の晋三さんを、地元の酒席で手招きして会話の輪に入れるのは、いつも昭恵さんでした。泥酔した昭恵さんを晋三さんがおんぶして帰るときもありましたね」(地元企業幹部)

 

 政治家として頭角を現すと、2006年、小泉政権構造改革を引継ぎ「美しい国を作る」と訴え、首相に就任した。

 

「第一次安倍政権では、閣僚のスキャンダルが相次ぎ、いわゆる『消えた年金問題』も発覚。2007年の参議院議員選挙でも大敗しました。支持率が低迷するなか、潰瘍性大腸炎を患い、辞任しました」(前出・政治部記者)

 

 その後、民主党政権による下野を経て、2012年には「アベノミクス」を掲げて第二次安倍政権が誕生。ここから7年にもおよぶ“安倍一強時代”が始まった。

 

「アベノミクスの功罪はもちろんですが、五輪誘致に際し、福島第一原子力発電所の汚染水漏れを『まったく問題ない』と発言するなど、当初から批判の声は多かったです。官邸に力を集中させる強権的な政権運営にも疑問の声が多かった。そして決定的だったのはいわゆる“モリカケ問題”と“桜を見る会”です。安倍元首相からの詳細な説明がないため、不信感が強まりました。これほど毀誉褒貶の多い政治家もいないのではないでしょうか。

 

 結局、新型コロナが蔓延するなか、支持率も低下。吐血するほど体調も悪化したため、辞任することになりました」(同前)

 

 政治の手腕は強権的とされたが、その素顔は対照的だったという。

 

「安倍元首相に近しい人物は“アベ友”などと批判されましたが、逆にいえば、すごく親しみやすい人物だったんです。2021年12月におこなわれた政治資金パーティで、安倍元首相が自ら『同期いちばんの男前は岸田文雄、いちばん頭がいいのは茂木敏充、そして性格がいいのが安倍晋三といわれている』と語っていましたが、あながち間違いじゃありませんよ。“敵だらけ”の一方で、近しい人たちからは、よく愛された人物です」(同前)

 

 どんな“敵”にも銃口を向けてはいけないのが、民主主義社会のはずだ。

 

( SmartFLASH )

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